世界の歴史から見る感染症シリーズ〜第2弾ペスト〜
どうもおはこんにちばんは、くんひろです。
今回は前回かなり好評だった「世界の歴史から見る感染症」シリーズ第2弾やっていきたいと思います。
今回紹介する感染症は
ペスト
別名黒死病。伝染病といえばペスト、というくらい有名ですね。
皆さんはアルベール・カミュの『ペスト』という小説をご存知でしょうか。
不条理の哲学を打ち出した、カミュといえば『異邦人』『シーシュポスの神話』が有名です。
このカミュが、病気という不条理に翻弄される人間について書いているのがこの『ペスト』です。ペストに襲われた街がロックダウンし、その街の人々の感情の変化、行動の変化が鮮明に描かれています。
普段読む分には面白いなぁと思うだけかもしれませんが、今の時代とリンクして読むと、僕は怖いという感情さえ抱きました。現在新型コロナによって起きている社会問題のほとんどがこの『ペスト』に予言かのように書かれているのです。
この本、今爆売れしてるみたいです。この機会にぜひ一度読んでみてください。
それでは行って見ましょう!
目次
ペストの症状
ペスト菌によって引き起こされら病気。ネズミに付着しているノミによって感染が拡大します。
ペストはノミからヒトにしか移らない腺ペストと、ヒトからヒトへ移る肺ペストの大きく2つに分けられます。
腺ペストは潜伏期間が2〜5日、リンパ節の腫れ、悪寒(寒気)、発熱が起こり、急速に進行してせん妄状態(精神錯乱)に陥ります。治療を受けなければ60%以上の人が亡くなります。皮下に黒い出血班を出す場合があり、黒死病と呼ばれました。
肺ペストは肺への感染が起こり、腺ペストの症状に加え、血痰(痰に血が混じったもの)、呼吸困難におちいり、48時間以内に死亡します。
現在は抗菌薬を用いることで治療することが可能です。
ペストと世界史
ペストはこれまでに3度の世界的大流行が起きています。
近年の研究によるとペスト菌の起源はシルクロードの要衝である天山山脈周辺に定着していたとされている。
前回の天然痘と同様、2〜3世紀頃シルクロードによって東西の大帝国、東の漢、西のローマが交易を活発にするに従って、天然痘は西から東へ、ペストは東から西へと渡るようになった。
1度目の大流行は543年の東ローマ帝国、ユスティニアヌス帝の時に発生した。
当時、強大な力を誇ったローマ帝国は分割統治により東と西に分かれ、西ローマ帝国はその後有名なゲルマン民族大移動により滅亡の道を辿ります。
ユスティニアヌス帝もこのペストになったが奇跡的に回復している。当時の歴史書『戦史』にはその惨状が克明に記されており、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)では毎日5000人もの死者が出て、市の人口の4割が失われたと言われている。
2度目の大流行は中世のヨーロッパで流行した。これが皆さんの印象にあるペストでしょう。
13世紀、14世紀といえばモンゴル帝国の時代であります。かの有名なチンギス=ハンが東は朝鮮から西はポーランドまで、ユーラシア大陸のほとんどを手中に収めていました。
これにより東西を結ぶシルクロードをモンゴル帝国が一括管理することで、通行料、関税を一律化され、東西交易がより一層活発になった。
また駅伝制(一定間隔で宿舎、食料、馬を配備した宿駅を設置)を用いることで交易、情報は大陸内を縦横無尽に駆け巡った。
これにより、中国で開発されていた羅針盤の原型や火薬などが西洋に伝わり、大航海時代へと繋がっていきます。
様々な恩恵とともに、ペストという負の遺産まで例外なく西洋にもたらすこととなりました。
このペストが流行した1348年から1400年の間、ヨーロッパの全人口の30%から40%にあたる2500万人から3000万人が死亡し、フランス南部からスペインにかけては8割の人口が失われたと考えられています。
ここまでの大流行を引き起こした原因として様々なことが考えられているが、一説を紹介します。
10世紀から14世紀にかけ、中世温暖期といわれる気候を背景に中世農業革命と言われる技術革新が起きた。
水車の利用や鉄の農機具への応用により、生産性が大幅に上がった。食糧増産を背景にイギリスドイツフランスを中心に人口が急増した。
過剰な人口増加により食糧不足が発生する中、1314年の異常気象が発生した。その後異常低温と長雨が数年続き、ヨーロッパ全域で食糧危機に陥っていた。
この危機の最中、ペストが追い討ちをかけるかのごとく襲ったと言われている。人口増加の結果ゴミが道路に投棄され、人間や動物の排泄物が悪臭を放ち、ベストを媒介するネズミの絶好な繁殖場になった。
ペストは中世社会を終わらせたと言われている。
人口の急激な減少により農村部から人が消え、荘園領主と農民の力関係が逆転した。当時土地を持っていた荘園領主に農民は年貢を払う形で働かせてもらっていた。しかし働き手がいなくなったことで荘園領主は給料を払って農民を雇わざるを得なくなった。
その結果農民が力を持ち始めジャックリーの乱、ワットタイラーの乱といった農民反乱が起こるようになった。
またペストにより人々はキリスト教への信頼をも失っていった。得体の知れない病気を災いと思い、人々は救いを求めて教会を訪れたが、神父たちは安全な場所へと逃げ、人々は見捨てられた。これが後の宗教改革へとつながっていく。
しかし意外なところにもペストは影響を与えていた。
その後ペストは断続的に続き1665年にロンドンを襲った。
ペストによりケンブリッジ大学が閉鎖されたため、かの有名なニュートンは故郷に戻り、万有引力の研究に没頭した。
彼の生涯の業績のほとんどはこの1年間に集中しており、「ニュートン驚異の年」と呼ばれている。ペストがなければ今の物理学は存在していなかったかも知れない。
3度目の大流行は1894年に中国で始まり、香港に飛び火し、海上ルートを経て太平洋一帯へと拡大した。
日本にも1899年神戸港に入港した台湾船の船員から感染が拡大した。その後大小の流行を経て、2215人が死亡した。1927年以降はペストの国内例はない。
アメリカ、オーストラリアにも流行は拡大し、死者をもたらした。
ペストの現在
2010年から2015年には世界で3248人の患者が報告され、584人が死亡しています。
現在でもペストが見られる国はマダガスカル、コンゴ共和国、ペルーの3カ国が主となっています。
現在でもワクチンはできておらず、抗生剤を投与することで治療します。
感想
いかがだったでしょうか。一つの時代をも終わらしてしまう感染症の恐怖を感じていただけたと思います。
また世界史で習ったことの裏側にもペストが関与していたり、思わぬことがペストの流行に繋がったり、逆にペストのおかげでもたらされたこともありました。
ペストは過去の病気だと思われがちですが、2019年の11月ご近所の中国で肺ペストの患者が出て、一時期話題となりました。
新型コロナに話題をさらわれたのか、大流行はもたらさなかったようですが。
僕は最近世界史を多角的な視点、例えば移民、財政、感染症の視点から勉強することが在宅中の趣味となっています。
様々な視点から勉強することで時代の出来事というのは1つのことから生み出されているのではなく、多くのことが絡み合ってできているのだと実感することができます。
皆さんもこの機会に感染症の歴史、勉強して見てはいかがでしょうか。
ではでは