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世界史から見る感染症シリーズ〜第3弾コレラ〜

どうもおはこんにちばんは、くんひろです。

本日は第1、2弾と大変好評だった『世界史から見る感染症』シリーズ第3弾をお送りしたいと思います。

今回紹介する感染症
コレラ
です。つい先日再放送していたドラマ『仁-JIN』でもこの「コレラ」という病が登場していましたね。名前は知っているという方も多いと思います。
ドラマでは南方先生がペニシリンを独自に開発することによって、治療法を確立しました。
しかし実際にペニシリンが発見されたのは1929年で実用化されるのは1942年なので当時の江戸ではまるで太刀打ちできなかったでしょう。後述しますが江戸時代にコレラが流行し、江戸だけでも10万人が死亡したと言われています。

というわけでコレラについて見ていきたいと思います。
目次

 

コレラの症状

コレラ菌と言われる細菌によって引き起こされる感染症
これら菌に汚染された水や食べ物を口にすることで感染します。

症状としては12時間から5日ほどの潜伏期間を経て激しい水溶性下痢(水っぽい)、嘔吐が起こります。
重症の場合は1時間に1リットルの水分が失われるため、脱水症状やカリウムなどが失われ、低カリウム血症になります。低カリウム血症になると筋肉の痙攣や麻痺や不整脈を起こしたりします。

治療としては下痢や嘔吐で失った水分や塩分を補うことが優先です。重症の場合は抗生剤を投与します。

ここで日常で使えるワンポイントアドバイスです。
食中毒が疑われる下痢の時は下痢止めは使ってはいけません!
下痢というのは本来細菌などを体外に排出しようとする生理機能です。そのため安易に下痢止めを使ってしまうと細菌を体外に排出できなくなってしまいます。
異常な量の下痢などがある際にはまずは医療機関に相談するようにしてください。

コレラの世界史

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参照元https://ja.wikipedia.org/wiki/コレラ

 

コレラは非常に感染力が高く、これまでに7回もの世界的流行を引き起こしています。

最も古いコレラの記録は紀元前300年のものである。原発地はインドのガンジス川下流での風土病と考えられている。

この風土病が世界へと広がるのは言うまでもなく、産業革命を経て世界間の交流が密接になったことが原因です。
初めての世界的大流行を起こしたのは1817年です。
インドのカルカッタで流行し、それがアジア全域、アフリカへと波及した。流行は1823年まで続いた。
1826年再び流行し、ヨーロッパやアメリカにまで波及し、甚大な被害をもたらした。
当時インドはイギリスの最大の植民地であり、ヨーロッパへ波及することは必然と言えます。インドで作った大量に作らせた綿花をイギリスが機械で大量に綿糸を生産することから産業革命は始まっています。イギリスはインドから綿花、紅茶だけでなく、コレラまでもれなく吸い上げてしまったのです。

また19世紀、産業革命が起こったヨーロッパでは地方から都市に人口が流入し、一気に過密化しました
しかし機械化に伴い多くの人が職を失い、労働者は劣悪な環境で長時間労働を強いられ、スラム街や貧民街ができ、工場による公害、街にはゴミや排泄物で溢れており、きらびやかなイメージとは真逆でした。
そんなヨーロッパの大都市の環境はまさに「感染症培養器」であり、感染症にとっては願ってもない環境でした。
ヨーロッパでこのコレラが大流行したことは想像するに難くないと思われます。
イギリスでは死者が14万人にも達した。パリでも2万人、フランス全土では10万人が亡くなりました。当時は感染者の半数が亡くなり、とても恐れられていた。

計7回の流行で数千万人が死亡したと言われている。その後防疫体制が強化され、大流行は起こらなくなった。

コレラと日本

日本にもコレラの波は例外なく及びました。
初めて日本に上陸したのは1822年九州で流行し始め、東海道まで及びましたが江戸には達しませんでした。
1858年に再び流行し、3年にわたり大流行となり、諸説あるが江戸だけで数万から10万人の死者が出たとも言われています。
ペリーが日本に来航したのは1853年。その際にペリー艦隊の乗組員のひとりがコレラに感染していたために、長崎に寄港した際感染が広がりました。
西洋=病原菌とみなす考えが当時の外交を排除しようとする攘夷思想に拍車をかけました。

明治時代にもコレラの流行は起きています。江戸時代の関所が防疫の働きをしていたとも言われており、明治になり関所が廃止されると感染症の流行も容易となりました。2ー3年間隔で数万人単位の患者が出ていました。

 

コレラがもたらしたもの

しかし今までもそうであったように感染症の流行は良くも悪くも歴史を変えます。

天然痘ではワクチンという概念が生まれ、ペストでは農奴制の崩壊、キリスト教への不信感による中世の崩壊などが起こりました。

このコレラによって新たに公衆衛生という概念が生まれます。
汚染された水から感染すると考えられるたため、上下水道が整備されるようになったことは歴史的な進歩です。
イギリスのロンドンではそれまでテムズ川に下水を流し、そのすぐ近くの上水道口から上水道として水を引っ張っていました。
今となっては考えられませんが当時はそれが常識でした。
そのような環境の水を飲料水とすれば感染症が起こるのは必然といえます。沸騰させれば、という意見もあるかもしれませんが、それができるのは上流階級だけ。今と違いガスも蛇口をひねれば出た時代ではありません。
1855年イギリスはテムズ川の下水道工事に着手しました。
またこの後に水を消毒するという画期的な方法が生まれました。
このようにコレラ近代公衆衛生改革の生みの親と言えるのです。


コレラの現在

現在日本でコレラというワードを聞く機会はあまりないと思いますがこれは日本が恵まれているだけです。
世界では毎年130万人から400万人の人が感染し、10万人から14万人の人が亡くなっていると考えられています。

感想

 

このように感染症の歴史を見ていくと、人口、文明、感染症は3つでセットなのだなと痛感させられます。
文明が発達し、人が密集するようになれば必ず感染症が蔓延する。文明が発達し、森林開発を行えば今まで接することがなかった動物と接する頻度が増えることで未知の感染症が出現する。
歴史は常にこれを繰り返しています。近年新興感染症と言われる未知の感染症の流行の頻度が多くなっているのも、文明が急速に発達したこと、グローバル化が急速に進んだことが大きく関わっています。
今回の新型コロナウイルスの流行も大きな視点から見れば必然と言えるのかもしれません。

ではでは