4月を振り返って
どうもおはこんにちばんは、くんひろです。
このブログも初めて1ヶ月以上が経過。
4月は社会情勢も僕としても激動の1ヶ月だったので少し振り返りたいなと思います。
どの行動にどんな目的があるのかをしっかりと明確にするために書きます、お付き合いください。
4月始めたたこと
・ブログ始めた
・研究室に入り始めた
・NCCという医療団体を設立した
・箕輪編集室に参加した
自分で変わったというのはおこがましいですが、受け身ではなく能動になったのは間違いなく病気のおかげだ。
病気になる前は「将来どうしよう。医者にも興味あるけどモチベ上がらんな、まあめんどくさいからなんでもいいや」と言うような典型的なダメ医学生。
色々自分から行動してる人を見て「うわーすごい、意識高いね〜」と揶揄するようなクズたった。
4年生になってから病気が発覚し、つらくて孤独な入院生活を経て、
「自分は人より命が短いかもしれない」
「自分のやりたいことって本当にこれでいいのかな」
と真っ白な病室で1人考えた。
入院生活が終わり、自分は医療だけがしたいわけではない、自分の人生が短いならやりたいこと全部やろう、そういうマインドセットになれたことは大きな収穫だった。
自分の考えを形にして「何者」になりたい。そう考えた時に起業したいと思った。そのためにまず自分は社会というものを知らなすぎた。だからまずは本で勉強を始めた。
第2のターニングポイントは村本先生との出会いだ。村本先生の話を聞いて自分もこんな生き方をしたいと再確認した。早くも師匠だと思ってます。
もともと悩むタイプの人間であった自分にはこの状態で起業しようという勇気はどうしても持てなかった。
起業してる人にはとりあえずやってみないとダメだよと言われることはわかっているが僕は計画立ててやっていきたいと思っている。
ただ、これだけは絶対やると決めたことがある。
学生生活残りの2年間で何で起業するかを決め、それを具体的に形にする。
ブログとSNSを始めたのは、同じような意識を持った人、あるいはもう起業してる人と繋がり、自分のことを認知してもらうため。
またブログで医療関連を書こうと思うと情報収集を強制的にさせられるので情報は増えたという点も良かった。
研究室に入り始めたのは産業医というものを本格的に学ぶため。
自分は臨床よりも予防医学だったり、職場のメンタルヘルスであったり、病院に来る前の人を助けた方が効率が良いと思っている。産業医はぴったりだった。
産業医をバイトでやる人も多いが自分は産業医を生業としても良いかなと思っているので、研究室に入ることで早くから専門的に学べると思ったからだ。
残念ながらコロナの影響で研究室は立ち入り禁止で何も今はできていないのだが…
NCCを立ち上げたのは悩みを共有できるコミュニティ、仲間が欲しかった。自分の周りにこのような相談できる友達がいなかった。
同じような悩みを持った人は絶対いると思うから、その人達と悩みを共有したり、どんな選択肢があるか一緒に学んだり、自分自身のやりたいことと向き合えるそんな場にしていきたい。
みの編に入ったのは勉強のため。将来オンラインサロンを経営したいと思ってるのでオンラインサロンがどういうものなのか経験してみたかった。
また経営、デザイン、PRなど色んな授業がありそうだったので勉強になるかなと思った。
1番はおもろいやつを見つけたい。自分が今まで関わったことない人たちと絡んで色んな考え方を知って自分に取り込んで、一緒に楽しめる仲間を見つけたい。
激動の1ヶ月ではあったが、全部まだ入っただけ。ここで何をするかは今後の自分次第。どれも中途半端にせず自分の糧にしていきたい。
でもまずは第一関門のフライアウェイには成功したのだろうか。
それまではやりたいことがあっても、「めんどくさいしいいや」と思っていた。
というより多分失敗するのをダサいと思ってた。恥ずかしいと思ってた。
だけどそんなことなかった。Twitterを始めて色んな形の医療者がいることを知ったし、同じ学生でも色んな行動をしている人がいた。みの編にも自分の目的のために自分で手を動かしてる人がたくさんいた。
そのみんながすごい輝いて見えた。自分の考えを持って、自分の目標を持って行動してる人が本当にカッコいいと思った。
意識高い人を揶揄していた自分に言ってやりたい言葉ができた。
身長も鼻も高くないんだから意識くらい高く持てよ
これは僕が思いついた名言。今後流行らせていきたいと思っている。
ただ意識だけではなく実行することが大事。これからダイダロスとなるかイカロスとなるかそれは自分次第。
イカロスは飛んではいるからダメではないのかしら?
ではでは